UNFPA世界人口白書に基づく日本の少子化対策に関する構造分析とSRHR原則に基づく政策提言
- Kumi Tsukahara
- 9月30日
- 読了時間: 19分
更新日:10月9日
2025年9月30日
RHRリテラシー研究所 塚原久美
第1章 序論:低出生率をめぐる国際的なパラダイムシフト
1.1. 問題の定義:人口動態目標から個人の選択権へ
日本の日本の人口動態は危機的な状況にあり、従来の少子化対策の効果は限定的であった。
厚生労働省が2025年6月に発表した人口動態統計によれば、2024年の年間出生数は68万6,061人、合計特殊出生率は1.15となり、統計史上初めて出生数が70万人を下回った1。この急速な出生数の減少は、政策介入にもかかわらず、少子化が抑制されていない現実を示している。従来の政策議論は、人口維持や経済的影響といったマクロな「人口目標」を達成することに主眼が置かれてきたが、国連人口基金(UNFPA)の世界人口白書は、この議論の枠組み自体が転換期にあることを示唆している。
UNFPAが2025年報告書『真の出生危機:変化する世界におけるリプロダクティブ・エージェンシーの追求』において提示した新しい分析軸は、真の人口危機は「人口過剰」や「人口減少」ではなく、人々が「望む数の子どもを持てない」状態、すなわち「選択の危機(Crisis of Choice)」であるという点にある 2。この観点によれば、数百万もの人々が、親になることを拒否しているのではなく、経済的、社会的な障壁によって、望む家族形成を断念せざるを得ない状況に置かれている 2。
1.2. SRHRと持続可能な人口動態の関係性の確立
性と生殖に関する健康と権利(SRHR)は、単なる医療アクセスや人権問題に留まらず、社会全体の持続可能な発展のための不可欠な基盤として認識されている。SRHRと普遍的なサービスへのアクセスは、2030アジェンダの持続可能な開発目標(SDGs)を達成する上で不可欠であり、特にSDG目標3(すべての人に健康と福祉を)および目標5(ジェンダー平等を実現しよう)の達成に直接的に関連する 3。
リプロダクティブ・エージェンシー(生殖にまつわる意思決定能力)の確保は、個人が自らの身体と未来について決定する権利を意味し、これは教育へのアクセス、経済的なエンパワーメント、および個人的な自律性といった多様な要因と密接に関連している 3。エージェンシーが制限されると、意図しない妊娠が生じ、これは女性や少女が教育を続けたり、社会経済活動に参加したり、望む人生を追求したりする能力を著しく損なう。したがって、個人のリプロダクティブ・エージェンシーが確保された社会でのみ、人々が望むライフコースを選択し、結果として持続可能でレジリエンスの高い人口動態が実現すると結論付けられる。
第2章 UNFPA世界人口白書(2023-2025)にみるSRHRと出生動向
UNFPAの近年の世界人口白書は、人口動態政策に関するグローバルな認識を根本的に変革する議論を展開している。
2.1. 2023年白書:権利とジェンダー平等の主張
2023年白書『80億の命、無限の可能性 — 権利と選択の主張』は、人口動態に関する議論において、ジェンダー平等と人権を核心に据えるべきだと強く主張した 4。UNFPA事務局長ナタリア・カネム博士は、「人間の生殖は、問題でも解決策でもない」と明言し、人口目標を追い求め、女性の生殖に関する意思決定に影響を与えようとする政策は、効果が薄いだけでなく、女性の権利を侵害し、歴史的に失敗を繰り返してきたことを指摘している 4。
この白書が示す政策的示唆は、国家は人口動態の結果(出生率の上下)を直接操作しようとするのではなく、ジェンダー平等と人権の実現という基盤的な要素に投資することで、より強く、よりレジリエンスのある社会を構築すべきであるという点にある 4。これは、出生率の低下が出生目標を達成しなかった結果ではなく、ジェンダー不平等や権利の欠如という構造的な原因の結果である、という根本的な視点の転換を要求する。
2.2. 2025年白書:真の出生危機の定義とエビデンス
2025年白書『真の出生危機:変化する世界におけるリプロダクティブ・エージェンシーの追求』は、低出生率の主因を、個人が希望する家族を形成することを妨げる「経済的・社会的障壁」「性差別的な規範(sexist norms)」「未来への不安」の三点に特定した 2。この分析は、出生率を外部から強制または奨励しようとする政策、すなわち出生促進策(Pronatalism)の限界を浮き彫りにする。
比較事例として挙げられている日本、中国、韓国、タイ、トルコといった国々は、1986年時点ではTFRを「高すぎる」と見なして抑制策を志向していたが、2015年までにすべてが出生促進策へと政策を180度転換した2。
しかし、UN DESA(国連経済社会局)のデータによれば、これらの国々はいずれも依然としてTFRが人口置換水準である2.0を下回って推移している2。わずか30年足らずの間での政策の180度転換は国民の政府への信頼を損ない、財政的インセンティブを中心とした出生促進策では、実質的な効果を上げていないことが明らかになっている2。
政策が失敗する背景には、構造的な問題の看過がある。政府が財政的インセンティブやその他の支援策を講じたとしても、多くの人々は現在の状況下では「望むよりも多くの子どもを持つことは実行不可能である」と感じている2。これは、国家が出産を奨励するために「お金」を提供しても、人々が家族を持つために必要とする「完全な支援環境」を提供できていないことを示唆している 2。経済支援が提供されても、女性がキャリアを中断せざるを得ない、または育児の責任を不均衡に負わされる社会構造(性差別的規範)が存在すれば、将来の経済的安定性(未来への不安)は確保されない。したがって、政策がターゲットとしているのは「結果」であり、根源的な「原因」(構造的ジェンダー不平等)ではなかったため、政策の失敗は不可避であったと分析される。
2.3. リプロダクティブ・エージェンシーの測定:国際的な課題
UNFPAの過去5年間のデータは、リプロダクティブ・エージェンシーの欠如が世界的に深刻であることを示している2。世界的に約半数の妊娠が意図しないものであり、女性の約10%が避妊具の使用を自分で決められず、約25%が自身のヘルスケアに関する決定や性交渉の拒否権を行使できない状況にある。
これらのエージェンシーの欠如は、意図しない妊娠率の高さとして現れ、女性の教育継続や経済活動への参加能力を著しく阻害する。意図しない妊娠の推定は、リプロダクティブ・エージェンシーの制限を示す重要な指標であり、Guttmacher Instituteなどの研究もその関連性を補強している 3。リプロダクティブ・エージェンシーと普遍的なサービスへのアクセスは、2030アジェンダのSDGs目標達成に不可欠であり、特に目標3(健康と福祉)および目標5(ジェンダー平等)に直接的に関連する 3。
結果として、SDGs目標の達成、特に健康とジェンダー平等の目標達成が遅延し、世界的な進捗が脆弱で不安定な状態にある 3。リプロダクティブ・エージェンシーの回復は、単なる人権回復に留まらず、社会全体の生産性と安定性を向上させるための前提条件である。
UNFPAの国際的なパラダイムシフトの構造は、以下のようにまとめられる。
表1.UNFPA世界人口白書に基づく国際パラダイムの構造
報告書 (年) | 核心テーマ | 低出生率/人口動態への提言 | 関連するリプロダクティブ・エージェンシー指標 | 主な引用元 |
2023 | 80億の命、無限の可能性 - 権利と選択の主張 | 人口政策においてジェンダー平等と権利を核心に据えること。目標追及型政策の失敗 4。 | 意思決定権の尊重、強制の排除 4。 | UNFPA事務局長(ナタリア・カネム博士) 4 |
2024 | 世界人口推計 2024 | 高齢化、都市化、国際移動など主要な人口動態の構造的理解 5。 | (マクロ人口動態の文脈提供) | UN DESA(国連経済社会局)5 |
2025 | 真の出生危機:変化する世界におけるリプロダクティブ・エージェンシーの追求 | 低出生率は経済的・社会的障壁による「選択の不能」であり、外部インセンティブに限界がある 2。 | 避妊利用の決定、ヘルスケアの決定、セックスへの同意能力2。 | UNFPAデータ(過去5年間)、UN DESA(政策転換事例)2 |
第3章 日本の人口動態と政策の現状分析
3.1. 危機的な人口動向:出生率・出生数の最新値
日本の人口動向は、国立社会保障・人口問題研究所(IPSS)が2023年4月26日に公表した、令和2年(2020年)国勢調査の確定数を出発点とする将来推計人口によって継続的に分析されている 6。この推計に基づき、近年の出生動向を検証すると、その急速な落ち込みが明らかになる。厚生労働省の人口動態統計によれば、2024年の年間出生数は68万6,061人、合計特殊出生率は1.15となり、統計史上初めて70万人を下回った1。
この出生数の水準は、日本の合計特殊出生率(TFR)が人口維持水準(2.07)を大きく下回り、前年の1.20からさらに低下して1.15まで落ち込んだことを示している1。この急速な減少は、政府がこれまで実施してきた少子化対策、特に経済的支援策が、出生率の低下傾向を反転させるには至らず、効果が極めて限定的であったことを裏付けている。
3.2. 政策の迷走と出生促進策の歴史
日本は、UNFPAが事例として挙げたように、人口政策の目標に関して迷走を続けてきた歴史を持つ。日本は1986年にはTFRを「高すぎる」と見なし抑制意図を示したが、2015年までには完全にTFRの引き上げを目的とした出生促進策へと政策を転換した2。この政策目標の不安定性は、UNFPAが指摘するように、国民が政府の家族形成支援プログラムの信頼性や一貫性を疑う一因となり、結果として未来への不安を増幅させる可能性が指摘される 2。
また、日本の政策は、意図しない妊娠(Unintended Pregnancy)の予防という観点からも不十分な状態が続いている。意図しない妊娠は、リプロダクティブ・エージェンシーの制限を示す重要な代理指標であり 3、日本における包括的な性教育の欠如や避妊アクセス(特に緊急避妊薬の処方プロセスや価格)の構造的な障壁は、意図しない妊娠の発生率を国際水準と比較して高く維持している可能性が指摘される 7。さらに、人工妊娠中絶に関する法的な規制(母体保護法における配偶者同意要件など)や中絶に伴う経済的・身体的・心理的負担は、個人の意思決定能力を制限する規範的障壁として機能している。
3.3. 日本の政策評価:出生促進策(Pronatalism)の構造的な失敗
UNFPAの国際的な知見に照らすとき、日本の少子化対策は「構造的な失敗」を抱えていると結論付けられる。日本は、主に保育園の整備や現金給付といった手段を通じて、出産の直接的なインセンティブを提供してきた。しかし、UNFPAの2025年白書が明確に示したように、これらの対策は、人々が家族を持つために必要とする「完全な支援環境」――すなわち、構造的なジェンダー平等、仕事と育児の両立が真に可能な環境、および未来に対する経済的・社会的安心感—―の整備を伴っていなかった2。
政策が短期的な結果(出生数)の増加に焦点を当て、ジェンダー不平等(性差別的な規範)といった根源的な構造的課題の解消を怠ってきたことが、政策失敗の主因である。
表2.日本の主要人口・ジェンダー指標の現状
指標 | 最新データ (年) | 値/順位 | 国際的な示唆 (UNFPA原則との関連) |
合計特殊出生率(TFR) | 2024年 | 1.151 | 望ましい出産意欲と、それを実行する能力との間に大きなギャップが存在2。 |
年間出生数 | 2024年 | 68.6万人 1 | 危機的な人口減少フェーズの継続。政策の即効性が限定的であったことを示唆。 |
ジェンダー・ギャップ指数 (全体) | 2024年 | 118位 / 146カ国中8 | 構造的なジェンダー不平等(UNFPAが指摘する性差別的規範)がライフコース選択を阻害している 2。 |
経済参加と機会(GGGIサブ指数) | 2024年 | 120位8 | 経済的なキャリア不安が、UNFPAが指摘する「未来への不安」を増幅させている 2。 |
子宮頸がん検診受診率(若年層) | 調査データ | 20%程度 9 | 予防医療へのアクセスとヘルスリテラシーの深刻な欠如。SRHRの健康目標達成におけるボトルネック。 |
3.4 国際調査に見るSRHR認識の差異
UNFPA『State of World Population 2023』4(46ページ、Figure 6)に掲載されたYouGov国際調査(8か国対象)によれば、人口変動に関する懸念事項として「性と生殖に関する健康政策と人権(SRHR)」を挙げた国が、日本を除く7か国すべてで確認された。これは、出生率の変動や人口構成の変化をめぐる課題が、単なる人口数の増減ではなく、人々の権利と選択の保障に深く結びついているという認識が国際的に共有されていることを示している。一方、日本のみがSRHRを主要な懸念事項として挙げていないことは、国内における問題認識の遅れを浮き彫りにしている。出生促進を主眼とする政策で解決できると考える傾向が依然として強く、個々人が安心して人生の選択を行える環境整備の重要性が、社会的・政策的に十分理解されていない状況にある(塚原 220-221頁)10。この国際比較は、日本が少子化対策において「人口目標」に固執するのではなく、SRHRを中核に据えた政策転換を進める必要性を強く裏づけるものである。
第4章 国際比較を通じた日本におけるSRHRの構造的欠陥:「隠れた問題点」
本章では、UNFPAが提唱する「選択の危機」の具体的な要素と日本の実態を詳細に比較し、従来の少子化対策では見過ごされてきた、リプロダクティブ・エージェンシーを制限する「隠れた問題点」を特定する。
4.1. リプロダクティブ・エージェンシーの制限と規範的障壁
UNFPAの国際データによれば、世界的に多くの女性が、自身のヘルスケアや性交渉に関する決定権を十分に持てていない 5。このエージェンシーの欠如は、ジェンダー不平等が深刻な国々において特に顕著であると推定される。
日本は2024年のグローバル・ジェンダー・ギャップ指数(GGGI)において146カ国中118位と低迷しており、特に経済(120位)と政治(113位)における不平等が際立っている 8。この根深い不平等は、UNFPAが低出生率の主因の一つとして挙げた「性差別的な規範」の具体的な現れである 2。日本社会では、女性が家庭外での役割と育児責任との間で深刻な二者択一を迫られる構造が依然として強く、これがリプロダクティブ・エージェンシーの行使を根本的に妨げている。
国際的な人口学の分析では、経済開発が進むとTFRは低下するが、ジェンダー平等が進んだ高所得国ではTFRが安定、またはわずかに回復する傾向(U字型またはJ字型カーブ)が観測されている。日本の政策は、経済的な支援のみに終始し、この構造的なジェンダー平等(SRHRの核心)の達成を怠ったため、TFRの回復軌道に乗ることができなかった。ジェンダー不平等が固定化している状況 8では、女性が子どもを望んだとしても、その実現が社会的に許容されないか、あるいはキャリアや自己犠牲という過大な負担を強いられる状態が継続する。この構造的負荷こそが、「選択の危機」を深めている要因である。
4.2. 知識と情報へのアクセスの欠如:日本の性教育の脆弱性
日本の教育システムにおける包括的な性教育(Comprehensive Sexuality Education, CSE)の不在は、リプロダクティブ・ヘルスリテラシーの決定的な不足を引き起こしている主要な「隠れた問題点」である。ジョイセフの指摘によれば、日本では避妊、性感染症予防、性の多様性、人権、性暴力といった「生きていくうえで必要不可欠な知識」が、学校でも家庭でも十分に伝えられていない7。
その結果、若年層の情報源は「インターネット・SNS」が中心となり9、正確でニュートラルな知識へのアクセスが阻害されている。この知識のギャップは、意図しない妊娠、性感染症、性暴力の被害者または加害者となるリスクを若者に負わせ、彼らの健康を損ない、将来の可能性を狭めている7。
公的な機関(学校)が正確な情報提供という責務を果たさないと、知識は個人の努力や偶然のアクセスに委ねられる。その結果、意図しない妊娠といった問題が発生した場合、社会は問題を構造的な不備として捉えるのではなく、被害者や当事者を「自己責任」「自分に隙があるから」として非難する規範が生まれる7。この規範的圧力は、UNFPAが指摘する「未来への不安」を増大させる強力な要因となり 2、若者が専門的なサポートを求めるヘルプシーキング行動を妨げ、結果的に彼らの生殖に関する選択権の行使をさらに抑制する。
4.3. 予防医療アクセスのギャップ
日本のSRHRに関するサービス提供にも、構造的なギャップが存在する。若年女性におけるHPVワクチン接種率は4割に上る一方、子宮頸がん検診の受診率は2割程度に留まっている 9。この乖離は、政策が単発の公衆衛生キャンペーン(ワクチン接種推進)としては一定の効果を発揮しても、継続的な健康管理や予防的セルフケア(定期検診)を促すための構造的な支援(費用、時間、プライバシー確保)が欠如していることを示している。
予防医療への継続的なアクセスの障害は、SRHRの「健康と福祉」(SDG 3)目標達成における重大なボトルネックである 3。若年層が自身のセクシュアル・ヘルスを自発的に管理する習慣を定着させるためには、経済的・心理的障壁を取り除くための抜本的な改革が必須である。
第5章 SRHR原則に基づく日本への具体的政策提言
UNFPAの世界的な知見と、日本の構造的な「隠れた問題点」の分析に基づき、政策のパラダイムを「人口目標の追求」から「リプロダクティブ・エージェンシーの最大化」へと転換するための具体的提言を策定する。この政策転換こそが、人権の尊重を通じた持続可能な社会の構築と、結果としての少子化傾向の構造的な改善を可能にする唯一の方法である。
5.1. 法的・規範的環境の整備:エージェンシーの基盤構築
5.1.1. 包括的性教育の法制化と義務化
学校教育法に基づき、性的権利、同意(Consent)、避妊、性の多様性、リプロダクティブ・ヘルスを含む包括的性教育(CSE)を義務化する7。この教育は、単なる生物学的な知識に留まらず、生涯を通じて人権と自律的な意思決定の能力を育むことを目的とする。目標は、若年層の情報源をインターネットやSNSといった不確実な情報源から、公的かつ正確な情報源へと移行させることである 9。
5.1.2. リプロダクティブ・ヘルス関連法規の改正
日本のリプロダクティブ・ヘルス関連法規、特に人工妊娠中絶を規定する母体保護法から、歴史的な「優生保護」的要素を完全に排除し、人工妊娠中絶における配偶者同意要件を即座に廃止すべきである。中絶の意思決定は、個人の自己決定権に完全に委ねられるべきである。また、経口避妊薬(OC)の保険適用範囲の拡大と緊急避妊薬(EC)の入手手続き簡便化を図り、避妊へのアクセスにおける費用および時間的な障壁を取り除く。
5.2. ジェンダー平等と社会経済的障壁の解消
5.2.1. 性差別的規範の解消とジェンダー指標の改善
UNFPAが指摘する「性差別的な規範」を是正するため2、ジェンダー・ギャップ指数(特に経済120位、政治113位)の改善を義務化する法律を制定し、数値目標、達成期限、定期的な進捗評価、および未達成時の是正措置を法的に義務付けるべきである8。目標の設定だけでなく、実効性を担保する評価・改善の仕組みを制度に組み込むことが不可欠である。
育児・介護休業の男性取得率を国際水準に引き上げるだけでなく、女性管理職比率、同一労働同一賃金原則の徹底を通じた賃金格差の是正を推進し、女性がキャリア形成と家族形成を両立できる構造を確立する。
5.2.2. 未来への不安の払拭を通じた経済的安定性の確保
若年層や非正規雇用者が抱える「未来への不安」を払拭するため、経済的安定性を高める政策をSRHR政策と不可分に連動させる 2。具体的には、若者向けの住宅支援の拡充、奨学金制度の抜本的改革(給付型奨学金の拡大と返済負担の軽減)、および非正規労働者の正社員化を促進する企業へのインセンティブ提供を通じて、安定したライフコースの選択肢を提供する。これは、単なる出産インセンティブではなく、ライフコース選択の基盤を提供するものである。
5.3. ヘルスケアとリテラシーの継続的な強化
5.3.1. 予防的セルフケアの推進とアクセス改善
子宮頸がん検診を含むSRH検診のアクセスを抜本的に改善し、学校や職域での定期検診を簡素化、かつ無料化する。HPVワクチン接種と検診受診率の間のギャップ(接種率4割に対し検診率2割程度)を解消するため9、検診の重要性を啓発し、継続的なセルフケアを促進する仕組みを構築する。
5.3.2. 若者向けフレンドリーサービスの展開
若者がプライバシーと信頼性を確保しつつ、気軽に性や生殖に関する相談ができる包括的なSRHサービス拠点(ユースフレンドリーサービス)を全国に整備する。これにより、知識不足や不安を抱える若年層が、専門家による正確な情報とサポートにアクセスできる環境を構築する。
5.4. データ収集とモニタリングの強化
従来の合計特殊出生率といった「結果指標」だけでなく、UNFPAの国際的な議論に基づき、政策効果の測定基準を「リプロダクティブ・エージェンシー指標」へと転換する 2。具体的には、避妊選択の自由度、性交渉への同意能力、意図しない妊娠率、SRHサービスへのアクセス障壁の有無などを定期的に全国調査し、その結果を透明に公表する。これにより、政策が個人の選択権の向上に実際に貢献しているかどうかを客観的に評価する。
表3.SRHR原則に基づく政策提言マトリクス
日本の構造的欠陥 | UNFPA原則との関連 | 具体的な政策提言 | 目標とする成果(リプロダクティブ・エージェンシーの強化) |
知識と情報へのアクセス不足7 | 意思決定能力の基盤 3 | 包括的性教育(CSE)の義務化と教材の標準化。 | 若者のヘルスリテラシー向上、意図しない妊娠・性暴力の減少。 |
性差別的な規範と低GGGI 2 | ジェンダー平等、社会的障壁 2 | 経済・政治分野におけるジェンダー・クオータ制の導入、育児負担の公平化。 | 女性のキャリア中断リスク低減、未来への経済的安心感の向上。 |
予防医療アクセスのギャップ9 | 健康と福祉(SDG3) 3 | SRH関連検診の無料化・簡素化、フレンドリーサービスの展開。 | 継続的なセルフケアの習慣化、リプロダクティブ・ヘルス結果の改善。 |
政策の信頼性欠如2 | 信頼性と持続可能性 | SRHR指標に基づく政策効果の透明なモニタリング。 | 国民と政府間の信頼回復、政策の一貫性の確保。 |
第6章 結論
本提言は、UNFPA世界人口白書(2023年、2025年)の分析に基づき、日本の低出生率問題が、単なる人口減少や経済的支援の不足に起因するのではなく、個人の性と生殖に関する権利と選択(SRHR)が構造的に制限されている「選択の危機」であることを明らかにした。
国際的な知見によれば、出生率の低下は、「経済的・社会的障壁」「性差別的な規範」「未来への不安」といった、個人のリプロダクティブ・エージェンシーを損なう構造的要因の結果である 2。日本は、過去の政策の迷走を経て、出生促進策に財政資源を投じてきたにもかかわらず、TFRは低下し続けており1、これは日本がこれらの構造的要因の解消を怠ってきたことを示している。
特に日本における「隠れた問題点」として、極度に低いジェンダー・ギャップ指数8が示す構造的な性差別的規範、包括的性教育の不在によるリプロダクティブ・ヘルスリテラシーの欠如7、そして予防的セルフケアの習慣化を妨げる医療アクセスの障壁が特定された。これらの問題は、UNFPAが指摘する「完全な支援環境」の欠如に他ならない2。
結論として、日本の少子化対策は、個人の選択権と人権を尊重する国際的なパラダイムシフトを取り入れることなく、表面的な経済支援に終始してきた。真の課題は、世界人口白書が指摘する通り、構造的なジェンダー不平等とリプロダクティブ・エージェンシーの欠如である。SRHRの原則を政策の核心に据え、法的・規範的な基盤整備、ジェンダー平等、および予防医療アクセスを包括的に改善することこそが、少子化という結果を改善し、人々が望む家族形成を可能にする唯一の方法である。日本は、人口動態の結果を追う政策から脱却し、人権と選択の自由を最大化する政策へと舵を切るべきである。
引用文献/出典一覧 (Bibliography)
厚生労働省 (2025年6月4日)「令和6年(2024)人口動態統計月報年計(概数)の概況」 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai24/index.html
UNFPA (2025)『State of World Population 2025: The real fertility crisis - The pursuit of reproductive agency in a changing world』 https://www.unfpa.org/sites/default/files/pub-pdf/swp25-layout-en-v250609-web.pdf
Guttmacher Institute「Unintended Pregnancy and Gender Inequality: Refined Measurement Yields New Insights」 https://www.guttmacher.org/fact-sheet/unintended-pregnancy-and-gender-inequality-refined-measurement-yields-new-insights
UNFPA (2023)『State of World Population 2023: 8 Billion Lives, Infinite Possibilities - The case for rights and choices』 https://www.unfpa.org/sites/default/files/pub-pdf/EN_SWoP23.pdf
UN DESA (2024)「World Population Prospects 2024: Summary of Results」 https://population.un.org/wpp/assets/Files/WPP2024_Summary-of-Results.pdf
国立社会保障・人口問題研究所 (2023年4月26日)「日本の将来推計人口(令和5年推計)」 https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp
ジョイセフ「【SRHR】私のからだ、私の生き方。」 https://www.joicfp.or.jp/jpn/donate/srhr4all_support/
ジョイセフ (2024)「『ジェンダー・ギャップ指数』2024が発表 日本は146カ国中118位」 https://www.joicfp.or.jp/jpn/column/gggr2024/
ジョイセフ (2025)「9000人のリアルな声から考える『性と恋愛』─『性と恋愛に関する意識調査2025』を通じて語られた日本の性教育の課題」(プレスリリース) https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000151.000017711.html
塚原久美 (2025)『産む自由/産まない自由 「リプロの権利」をひもとく』集英社新書
(※オンライン情報はすべて2025年9月30日に確認)

コメント