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220226 札幌高等裁判所 民事部提出 塚原久美意見書

意見の骨子


 本意見書では、「リプロダクティブ・ライツ」が「リプロダクティブ・ヘルス」とともに理解され、明確な権利として位置づけられるべき概念であることを明確にする。そのうえで、旧優生保護法による強制不妊手術の被害について国が十分な謝罪や救済を行っていないことから、控訴人である小島喜久夫氏(以下「控訴人」という。)は今現在も、性と生殖に関する身体的・精神的・社会的な健康(「リプロダクティブ・ヘルス」という)と、そうした健康の享受を保障する「リプロダクティブ・ライツ」を侵害され続けていることを明らかにする。


意見の理由


第1 リプロダクティブ・ヘルス&ライツとは

1 仙台地裁における認定

 仙台地裁は、令和元年5月28日判決中で「リプロダクティブ権」ならびに「いわゆるリプロダクティブ・ライツという概念」について、次のような認識を示した。

「リプロダクティブ権は、子を産み育てることを希望する者にとって幸福の源泉となりうることなどに鑑みると、人格的生存の根源に関わるものであり、憲法上保障される個人の基本的権利である(判決21頁)。」

「いわゆるリプロダクティブ・ライツという概念は、性と生殖に関する権利をいうものとして国際的には広く普及しつつあるものの、我が国においてはリプロダクティブ権をめぐる法的議論の蓄積が少なく、本件規定及び本件立法不作為につき憲法違反の問題が生ずるとの司法判断が今までされてこなかったことが認められる(判決22頁)。」

 上記に関して、判例タイムズ No.1461 2019年8月号155頁では次のように解説されている。


「2-(1)子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は、いわゆる自己決定権の一類型であると位置付けられる。自己決定権については、最三判平12・2・29民集54巻2号582頁、判タ1031号158頁(以下「最高裁平成10年判決」という。)が、輸血を伴う医療行為を受けるか否かについて意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならないとして、上記権利を正面から認めている。本判決は、その表現振りからすると、最高裁平成10年判決が説示するところをふまえ、リプロダクティブ権についても、子を産み育てることを希望する者にとって幸福の源泉となりうることなどに鑑み、人格的生存に関わるものとして人格権の一内容を構成する権利であると判断したものと考えられる。

 そして、本判決は、旧優生保護法が子を産み育てる意思を有していたものにとってその幸福の可能性を一方的に(暴力的に)奪い去り、個人の尊厳を踏みにじるものであって、旧優生保護法の規定に合理性があるというのは困難であるとして、旧優生保護法の規定が憲法13条に違反し無効であると正面から判断するとともに本件優生手術がリプロダクティブ権を違法に侵害する行為であると認定している。……中略……本判決は、争点1を判断するために、リプロダクティブ権侵害の成否及びその前提問題となる旧優生保護法の違憲性についても判断したものと思われる。」

 このように仙台地裁判決はリプロダクティブ・ライツを自己決定権の一類型として、旧優生保護法の規定が憲法13条違反であると認定した。だが、これだけでは旧優生保護法の規定によって強制不妊手術を受けた被害者たちのリプロダクティブ・ライツの侵害の一側面しか把捉できていない。

2 リプロダクティブ・ライツが権利として認められるようになった経緯とこれがリプロダクティブ・ヘルスとともに理解されるべき概念であること

 以下では、リプロダクティブ・ライツは、より広範な権利を網羅したものであり、またリプロダクティブ・ヘルスと共に検討対象にすべき概念でもあることを明らかにする。 

仙台地裁判決で定義されたような意味での性と生殖に関する自己決定権としての「リプロダクティブ権」の萌芽は、すでに1974年の第3回世界人口会議(開催地はルーマニアのブカレスト)に見ることができる。世界的な人口問題への関心の高まりにより、国連主催で地球規模での人口問題が初めて話し合われたこの会議では、人口問題を解決するためには人権尊重が重要であるとの認識が共有され、採択された「世界人口行動計画(WPPA)」[1]の「B.本計画の原則と目的」のパラグラフには、「14-(f)カップルと個人が子どもの数と間隔を自分たちで決定する権利と、その決定を実現するための手段を得る権利」という理念が盛り込まれた(10頁)。その10年後の1984年にメキシコで開かれた第4回国際人口会議でも、産む子どもの数と間隔は当事者であるカップルと個人に任せるべきであること等が再確認された[2]。つまり、性と生殖(リプロダクション)に関する「カップルと個人」の自己決定権は、国連レベルでは47年前にすでに認められていたのである。

 これらの国際的な人口会議においてさらにリプロダクション(性と生殖)をめぐる権利について、幅広く議論し、検討された結果、1994年にエジプトのカイロで開かれた国際人口開発会議(以下、「カイロ会議」とする)では、人権としてのリプロダクティブ・ヘルスとリプロダクティブ・ライツという二つの概念が登場し、国際文書の中に初めて書き込まれ、詳細に定義された。以下、カイロ会議で採択された行動計画[3](以下、「カイロ行動計画」とする)に示された関連部分を提示する。(原文は英語であり、以下すべて筆者の仮訳である。)

 カイロ行動計画の第7章では、リプロダクティブ・ヘルスとリプロダクティブ・ライツは、それぞれ次のように詳細に定義されている。


「7.2 リプロダクティブ・ヘルスとは、生殖システムおよびその機能とプロセスに関連するすべての事項において、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることであり、単に病気や不調がないことではない。したがって、リプロダクティブ・ヘルスとは、人々が満足のいく安全な性生活を送ることができ、生殖能力を持ち、いつ、どれくらいの頻度で生殖を行うかを決定する自由があることを意味する。この最後の条件に含まれているのは、男女が情報を得て、安全で、効果的で、手頃で、受け入れ可能な家族計画の方法や、法律に違反しない出生調整のためのその他の選択した方法を利用する権利と、女性が妊娠・出産を安全に行うことができ、夫婦が健康な乳児を得るための最良の機会を提供する適切な医療サービスを受ける権利である。上記のリプロダクティブ・ヘルスの定義に沿って、リプロダクティブ・ヘルス・ケアは、リプロダクティブ・ヘルスの問題を予防・解決することにより、リプロダクティブ・ヘルスとウェルビーイングに貢献する方法・技術・サービスの集合体と定義されている。また、単に生殖や性感染症に関するカウンセリングやケアだけでなく、人生や個人的な関係の向上を目的とした性的健康も含まれる。」


「7.3 上記の定義を念頭に置き、リプロダクティブ・ライツは、国内法、国際人権文書およびその他のコンセンサス文書において既に認識されてきた特定の人権を含む。これらの権利は、すべての夫婦および個人が、子どもの数、間隔、時期を自由かつ責任を持って決定し、そのための情報と手段を得るという基本的な権利と、最高水準の性と生殖に関する健康を得る権利を認識することにある。この権利には、人権文書に示されているように、差別、強制、暴力を受けることなく生殖に関する決定を行う権利も含まれている。この権利を行使する際には、生きている子どもや将来の子どもの必要性や、地域社会に対する責任を考慮しなければならない。すべての人々がこれらの権利を責任を持って行使できるように促進することが、家族計画を含むリプロダクティブ・ヘルスの分野における政府および地域社会が支援する政策およびプログラムの基本的な基盤となるべきである。その一環として、相互に尊重し合う公平なジェンダー関係の促進、特に思春期の子どもたちが自らの性に前向きに責任を持って取り組めるようにするための教育やサービスのニーズに応えることに十分な注意を払うべきである。世界の多くの人々は、人間の性に関する知識が不十分であること、リプロダクティブ・ヘルスに関する情報やサービスが不適切または質が悪いこと、リスクの高い性行動が多いこと、差別的な社会慣習があること、女性や少女に対する否定的な態度があること、女性や少女の多くが自分の性生活や生殖生活に対して限られた力しか持っていないことなどの要因により、リプロダクティブ・ヘルスを得られないでいる。思春期の女性は、ほとんどの国で情報や関連サービスへのアクセスが不足しているため、特に脆弱である。高齢の女性と男性は、生殖と性に関する健康問題を抱えている。が、十分な対応がなされていないことが多い。」


 リプロダクティブ・ヘルスとリプロダクティブ・ライツという二つの概念は、相補的で不可分であるため併記されることが多く、共通している「リプロダクティブ」という形容詞の一方を省略して「リプロダクティブ・ヘルス・アンド・ライツ(reproductive health and rights)」と併記されることがよくある。ちなみに、日本でしばしば使われている「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」という標記は誤りである。「/」は「又は」を意味する記号であるため、この記号でヘルスとライツを結ぶと「リプロダクティブ・ヘルス」と「リプロダクティブ・ライツ」が単なる言い換えであるか、もしくはどちらか一方が充足されればよいと誤解されてしまうことになりかねない。そこで本稿では、この二つの概念を併記する場合には「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」と表現することにする。


3 リプロダクティブ・ヘルス&ライツの3つの要素

 カイロ会議は、従来の「マクロ」の視点に立っていた人口問題を「ミクロ」の視点に転換することで人口政策に「パラダイムシフト」をもたらした画期的な会議 であった。この会議では、「トップダウン」で数としての人口問題に対処しようとしてきた従来のやり方を改め、一人ひとりの「人権」の観点から教育や生活の質を改善していく「開発」を通じて人口問題を克服していく「ボトムアップ」の方式を採用したのである。つまりこの時、「リプロダクティブ・ライツ」はすべての国が対処すべきすべての人々の権利――すなわち「人権」の問題として位置付けられたのである。

 上記7.3の冒頭で、「リプロダクティブ・ライツ」は、「すべての夫婦および個人が、子どもの数、間隔、時期を自由かつ責任を持って決定し、そのための情報と手段を得るという基本的な権利と、最高水準の性と生殖に関する健康を得る権利を認識すること」として説明されている。

 ここには具体的に3つの権利が示されている。1つ目は、「子どもを産むか、産まないか、産むとしたらいつ、どのような間隔で産むかを自分で決定する権利」、すなわち生殖に関する自己決定権である。これまでの仙台地裁等の判決が認定した「リプロダクティブ権」はこの自己決定権の側面のみをとらえている。

しかし、2つ目の「性と生殖に関する情報とサービスにアクセスできる権利」と3つ目の「最高水準の性と生殖に関する健康を最大限享受する権利」は、仙台地裁等の判決が認めてきた「リプロダクティブ権」の射程から抜け落ちている。

 2つ目の「性と生殖に関する情報とサービスにアクセスできる権利」は人権規約でいえば「社会権」にあたり、国は個人が自己決定した内容を実現できるように情報とサービスを提供する義務を負う。そして、3つ目の「最高水準の性と生殖に関する健康を最大限享受する権利」はいわゆる「健康権」[4]であり、人格権、平等権、生存権などを網羅した広い概念である。

 日本弁護士連合会は、昭和55年11月8日の「『健康権』の確立に関する宣言」[5]において次のように定義している。「健康に生きる権利(健康権)は、憲法の基本的人権に由来し、すべての国民に等しく全面的に保障され、なにびともこれを侵害することができないものであり、本来、国・地方公共団体、さらには医師・医療機関等に対し積極的にその保障を主張することのできる権利である」。さらに健康権の確立が必要な理由として次のように述べている(一部引用)。


「1.憲法は、すべて国民は個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とし(十三条)、全て(ママ)国民は法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は持ちにより、政治的、経済的又は社会的関係において差別されず(十四条)、すべての国民に対し健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障し、国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない(二十五条)旨を規定している。これらの条項は、生存権の重要な部分をしめる医療と人権に関する憲法の基本的な考え方を明らかにするものである。」


 先の仙台地裁等の従来の判決において「リプロダクティブ権」を憲法13条の幸福追求権に関する人権侵害のみがあったと認定したのは、権利の性格を十分にとらえきれていないという意味で、適切ではない。「リプロダクティブ・ライツ」の権利性を明示する以上は、憲法13条のみならず、少なくとも憲法14条の差別されない権利や憲法25条の生存権に関する権利侵害についても検討・評価する必要がある。

 では、「健康」はどのように捉えればよいだろうか。WHO(世界保健機関)は1948年憲章において、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること(日本WHO協会訳)」と定義している。さらに、WHOは、「到達可能な最高水準の健康を享受することは、すべての人間の基本的権利のひとつ」であるとも明言し、政治的信条、経済的条件、社会的条件による差別を禁止している[6]

 さらに、国連経済社会理事会は、2016年「性と生殖に関する健康に対する権利(経済的、社会的及び文化的権利に関する国連規約第12条)に関する一般的意見第22」を出している。その中で、「性と生殖に関する健康は、WHОが定義する『健康の社会的な決定要因(social determinants of health)』にも強く影響される。どの国でも、性と生殖に関する健康の有り様には、一般的に、ジェンダー、民族的出自、年齢、障害及びその他の要因に基づく社会的不平等や権力の不平等な分配が反映されている。貧困、所得格差、及び当委員会が明示した根拠に基づく構造的差別・疎外は、いずれも性と生殖に関する健康の社会的決定要因であり、これは他の様々な権利の享受にも影響を与える。こうした社会的要因(これらは、法律や政策で明示されていることが多い。)の本質は、個人が自分の性と生殖に関する健康について行使しうる選択権を制限する。したがって、締約国は、性と生殖の健康に関する権利を実現するため、法律、制度的取り決め及び社会的慣行に明白に表れている、個人の性と生殖に関する健康の実効的な享受を阻害する社会的要因に対処しなければならない。」