提言:不妊治療助成拡充についてリプロの視点で見直す-2021.3.7
更新日:2021年12月22日

2021年3月7日
RHRリテラシー研 塚原久美
370億円をかけての不妊治療推進
菅政権は出産を希望する世帯を広く支援するために不妊治療の保険適用を検討し、保険適用までの間は、現行の助成措置を大幅に拡大するために、特定不妊治療のために令和2年(2020年)の第三補正予算で370億円を計上した。同じ補正予算で母子家庭等対策総合支援事業に計上された148億円と比べると2.5倍もの規模である。
厚生労働省が明らかにした「不妊に悩む方への特定治療支援事業」の拡充の説明によれば、この事業は不妊治療の経済的負担の軽減を図るため、高額な医療費がかかる配偶者間の不妊治療に要する費用の一部を助成するものだと位置付けられている。助成対象は体外受精及び顕微授精(以下「特定不妊治療」という)であり、対象者は特定不妊治療以外の治療法によっては妊娠の見込みがないか、又は極めて少ないと医師に診断された夫婦(治療期間の初日における妻の年齢が43歳未満である夫婦)である。
子ども1人が生まれるまで30万円を6回支給
給付額は、①治療1回につき30万円(採卵を伴わない凍結胚移植及び採卵したが卵が得られない等のため中止した場合は1回10万円)で、助成を受けられる回数は初めて女性を受けた際の治療期間初日における妻の年齢が40歳未満であるときは通算6回、40歳以上43歳未満であるときは通算3回まで(1子ごと)または②男性不妊治療(精子を精巣又は精巣上体から採取するための手術)を行った場合は30万円である。この拡充が適用されるのは令和3年1月1日以降に終了した治療であり、期間は令和3年の1月から令和3年度の末までの15ヵ月間である。
従来の助成件数は平成30年度で約13万8000件であり、これまでの所得制限(夫婦合算)730万円の所得制限を撤廃することで、助成対象は拡大すると見込まれる。助成額も従来の1回15万円(初回のみ30万円)を30万円に引き上げており、助成回数も「生涯で6回まで」だったのを「1子ごと6回まで」と引き上げた。この助成を受ければ、従来よりも特定不妊治療を受ける回数を増やすことが可能になる。
これは一見、不妊治療を受けている夫婦を利する施策に思える。しかし、後述する通り、特定不妊治療はリスクの高い医療であり、それを受ける当事者は女性である場合が多いため、女性の性と生殖に関する健康と権利(リプロダクティブ・ヘルス&ライツ)が守られていることを慎重に検討する必要がある。
そこで本稿では、女性のリプロダクティブ・ヘルス&ライツの視点から、このたびの助成拡充のもつ問題点を明らかにする。
リプロダクティブ・ヘルス&ライツとは
リプロダクティブ・ヘルスとは、性と生殖にまつわる身体的、精神的、社会的なウェルビーイングを意味する言葉である。また、リプロダクティブ・ライツの主な要素は、リプロダクティブ・ヘルスを守るために産む/産まないに関する自己決定権(自由権)と最良のリプロダクティブ・ヘルスケアが保障される権利(社会権)である。
一方、不妊とは「避妊をしないで定期的な成功を持ちながら12ヵ月妊娠しないことで定義される生殖器官の疾患」とされている[1]。日本産科婦人科学会編集の産科婦人科用語集では、「不妊症」とは「生殖年令の男女が妊娠を希望し、ある期間避妊することなく性交渉をおこなっているのにもかかわらず、妊娠の成立を見ない場合を不妊といい、妊娠を希望し医学的治療を必要とする場合」と定義づけている。つまり、「不妊」は一定のからだの状態を指しているのであり、「不妊=病気」ではない。自らの不妊状態に甘んじることなく、その治療を求めたときに初めて「不妊症」の患者になるのである。
日本の不妊治療
日本における不妊治療は、「一般不妊治療」と「生殖補助医療」に大別される。「一般不妊治療」には、超音波検査で卵胞の大きさを測定し、排卵日を推定することで、最も妊娠しやすい時期に性交をもつようにするタイミング法や排卵誘発剤を服用して排卵を起こす排卵誘発法が含まれる。これらには保険が適用されるが、人工授精は一般不妊治療に分類されながら保険は適用外である。一方の「生殖補助医療(Assisted Reproductive Technology:略ART)」とは、卵子を体外に取り出す採卵や体外受精(IVF)、受精させた卵(胚)を子宮内に戻す胚移植(ET)の他、精子を顕微鏡下で受精させる顕微授精(ICSI)などを組み合わせて行う高度な医療技術の総称で、保険適用外の人工授精と共に、このたびの助成拡充の対象とされている。それというのも、これらはすべて保険適用外なので非常に高額であるためで、厚生労働省が資料で示した平成18年の平均治療費は体外受精1回あたり30万円、顕微授精1回あたり40万円である。
2020年に法制審議会民法(親子法制)部会第7回会議で示された徳島大学大学院医師薬学研究部苛原稔氏の「日本の生殖医療の現状と課題」と題された資料によれば、2016年に日本で行われたART治療総周期数[2]は44万7,790周期にも上る。世界でも日本は中国に次ぐART大国で、第3位のアメリカの実施数の2倍以上である。その内訳は、通常の体外受精(通常周期[3])が9万4,566件、顕微授精が161,262件、凍結胚を用いた手法(凍結周期)が191,962件である。
最多である凍結胚を用いた手法とは、近年では最も有望視されており、体外受精でできた胚を凍結しておき、後の周期の排卵時に融解した胚の移植を行う。採卵直後の子宮はコンディションが最良ではないため、子宮内の環境が整ってから子宮に戻すことで妊娠率が向上するのである。同じ資料に示されている総出生数は54,110件(総周期数に対して12.1%)であり、うち通常周期4,266件(4.5%)、顕微授精5,166件(3.2%)と比べても、凍結周期は44,678件(23.3%)と非常に成功率が高いことが分かる。
より複雑で侵襲的な治療に
ただし、凍結周期法の場合は、採卵、体外受精または顕微授精、胚凍結、胚融解、胚移植とより手順が増え、凍結胚を保管しておく手間も増える。より操作が増すために値段も他の方法に比べて高くなる。さらに、以前は1回に複数個の胚を胎内に戻すことで妊娠[4]率を上げていたのだが、母体への危険や産婦人科における医療的管理が手薄になることなどが問題視されるようになり、2018年に本産科婦人科学会は「生殖補助医療における多胎妊娠防止に関する見解」において、「移植する胚は原則として単一とする」こと、「ただし、35歳以上の女性、または2回以上続けて妊娠不成立であった女性などについては、2胚移植を許容する」こととした。以降、多胎は急速に減少した一方で、妊娠・出産に至らないケースが必然的に増えることになった。
ARTの実施数は年々増加しており、先の資料によれば、国の不妊治療助成を受けた人数は平成24年度実績で助成を受けた回数1回が15,051人、2回が14,822人、3回が16,306人だったとされる。年齢で見ると、39歳が最も多く10,001人、38歳9,805人、40歳9,498人と続く。40歳以上を合わせると全体の32.7%を占めている。
健康リスクが増える
しかし妊婦の年齢が上がるほど、妊娠をめぐる問題は増える。年齢別にみた妊産婦死亡率(出産十万対)は、30歳の妊婦なら3.3だが、40歳では11.6、43歳で36.0、45歳以上だと54.9にも上昇する。自然流産率も、35~39歳で20.7%、40歳以上は41.3%で、これらの数値は25~29歳、30~34歳の群と比較すると統計的に有意に高い。妊娠高血圧症症候群の年齢別の相対的リスクも30歳の総体リスクを1とした場合、39歳は1.65、43歳は2.18、45歳は2.68と上昇する。周産期死亡率[5]も、30歳の時点では3.6だが40歳では7.0、43歳で12.0、45歳以上14.1に上昇する。染色体異常も30歳の時点では出生千対2.1の頻度だが、40歳では15.2、45歳では47.8と上昇する。
このように考えると、不妊治療は必ずしもいいことずくめではなく、高齢でも子どもを持てる人が増える一方で、女性自身の健康や子どもの健康に対するリスクは増えていくという難点がある。とりわけ、通常の妊娠でも高齢になればなるほど流産しやすくなるものだが、不妊治療による妊娠の場合はなおさらで、総妊娠周期数に対する流産率は35歳で20.3%、40歳で35.1%、45歳以上では66.0%と、実に3分の2が流産を経験することになる。
逆に総妊娠周期数に対して無事に出産に至る率は35歳で16.3%、40歳で7.7%、45歳では0.6%にまで下がる。年齢によって最終的に分娩に至る割合も変わる。不妊治療を5回受けた時点で分娩に至ったカップルの割合は、女性の年齢が34歳以下の場合は60%に達したが、35~39歳は4割にとどまり、40歳以上では1割程度だった。分娩に至らなかったなかには、そもそも妊娠に至らなかったか、いったん妊娠をしたと喜んでいながら流産や死産に至ってしまう人々も含まれている。
こころのケアは不可欠
獨協医科大学埼玉医療センターの杉本と小泉による「不育症のこころのケア」という資料によれば、ヨーロッパひと生殖学会(ESHRE)心理社会的ケアガイドラインは体外受精IVF、顕微授精ICSIを受けた人の妊娠判定検査実施後の精神病の有病率を明らかにしている。それによると、女性の4人に1人、男性の10人に1人が(軽度を含む)うつ病を発症しており、女性の7人に1人、男性の20人に1人が(軽度を含む)不安障害を発症していた。さらに流産後の有病率[6]は、PTSDを有していた人は1か月後29%、3か月後21%、9か月後18%であり、中~重度の不安は1か月後24%、3か月後23%、9か月後17%、さらに中~重度のうつは1か月後11%、3か月後8%、9か月後6%だった。
不妊治療で不成功(流死産含む)の場合の長期有病率も高く、IVFまたはICISIで治療不成功の場合、女性10人に1~2人は臨床的に問題となるほど深刻な鬱状態を呈しており、治療不成功後3~5年間にわたり妊娠を希望し続けている女性は、新たな人生の目標を見つけたり、母親になったりした女性と比較して、多くの不安やうつ症状が認められると言う。IVFまたはICSIで治療不成功になってから5年が経過した後も子どもがいない元患者は、養子縁組や自然妊娠によって親となった元患者と比べて、睡眠薬の使用量、喫煙の頻度、アルコール摂取量が多い可能性があり、離婚する可能性が3倍高いことも明らかになったという。
同じ資料で挙げている最近のエビデンス(Farren、2020)でも、24週以前の早期流産(子宮外妊娠含む)を経験したカップル192組の夫婦のメンタルヘルスを比較したところ、妻の方が精神的不調が長く続き、夫婦間ギャップが大きいために、妻対象のメンタルケアに加えて、夫婦関係の調整が必要だと結論されている。この研究によると、妻のPTSDの有病率は1か月後34%、3か月後26%、9か月後21%と、ESHREの調査対象者よりも深刻であった。
以上を踏まえると、特定不妊治療の実施と並行して、メンタルヘルスに対する十分なケアを提供することは不可欠である。元々、女性の方がうつになりやすいということは従来の研究でも明らかにされている。日本政府は、国連女性差別撤廃委員会から女性のメンタルヘルスケアの問題に対応すべきだとも指摘されてきながら、対策はほとんど取られてこなかった。コロナ禍において2020年に女性の自殺数が前年比で急増することになったのも、対応が遅れてきた結果ではないかと危ぶまれる。特定不妊治療を受ける女性はもちろん、一般の女性や少女に対するメンタルヘルス対策も急務であろう。
不妊治療以外の対策にも目配りを
一方、不妊に悩む人々に、不妊治療以外の「出口戦略」を立てていくことも重要である。不妊治療がうまくいかなかったり、不育症に悩んだりした末に里親になるという「出口」を見つけた人びとから、「42歳まで不妊治療をした。早く知っていたら、子育ては体力勝負」、「早い時期に知っていたら不妊治療にしがみつかない」、「血のつながりだけが全てではない、と不妊治療をしていた頃の自分に教えたい」などの声も上がっている。より良い情報提供と機会の提供、制度的なバックアップを行っていくべきだろう。
また、子どもを授からずに悩む人がいる一方で、意図せぬ妊娠で悩んでいる人々もいる。特に、若年層や貧困女性などで、「子どもを産みたい」という気持をもちながら、「中絶するしかない」と追い込まれてしまう人々が確実に存在している。北村邦夫氏が2020年5月20日の朝日新聞で明らかにした中絶の実態調査によれば、「最初の人工妊娠中絶手術を受けることを決めた理由(女性)」について、「経済的な余裕がない」は24.3%、「相手と結婚していないので産めない」は24.3%、「自分の仕事・学業を中断したくない」が8.6%だった。
「経済的な理由」で産めない人々に経済的支援を行っていくことは、少子化対策としても有効に違いない。社会的な支援が欠落しているがために「産む」選択肢が事実上奪われている現状は、リプロダクティブ・ライツの観点に照らすと、まさに人権侵害的でもある。また、未婚でも、当人が望むなら出産し、支援を受け