性と生殖の権利―中絶・避妊をめぐって

中絶が避妊に先行した日本の状況


 日本は第二次世界大戦敗戦後に人口急増と食糧難に見舞われ、産児制限が必要不可欠だと見なされて、1948年に優生保護法が成立し、西側諸国では初めて人工妊娠中絶が合法化された。その後、数年間に条件を緩める法改定が行われ、優生保護法指定医師一人の認定によって「経済的理由」として実質的に誰でも自由に中絶を受けられるようになった。その結果、1950年代から1960年代初めにかけての約10年間、届け出のあった数だけでも年間100万件の中絶が実施された。統計の残っている1949年から2020年までの総中絶件数は約4000万件、平均で年間56万人の中絶が行われたことになるが、現在の年間中絶件数は14万件台まで減少している。

 一方、海外諸国では1960年代から急速に避妊ピルが広まった。日本で普及が遅れたのは、中絶が先行したために、いざとなれば中絶があるから、避妊は(失敗することもあるが)手軽なコンドームでよいとする考え方が定着してしまったためだろう。逆に言えば、まだ中絶が禁止されている時代に避妊ピルが登場した海外の女性たちは日本人とは大違いで、是が非でも避妊ピルを手に入れたいと願い、行動し、獲得することでエンパワーされて行き、そのパワーが続いて中絶合法化にも向かったようである。

 優生保護法で合法的な中絶を独占した指定医師たちは、中絶を行うために搔爬と呼ばれる小手術を採用した。固く閉じている子宮頚管を押し広げ、子宮内に道具を挿し込み内容物を掻き出すという外科的方法である。当初は様々な失敗があったようだが、膨大な数の中絶を扱うことで医師たちはしだいにこの方法に熟達していったようである。1970年前後から中絶が合法化されるようになった海外の医師たちは、違法堕胎で用いられていた搔爬を好まず、試行錯誤の末に「吸引法」を見出してそれをもっぱら用いるようになった。吸引法は日本にも入ってはきたがさほど広まらなかったようで、「医師自身が慣れた方法が最も安全」として搔爬を擁護する医師もいた。


カイロ会議における「リプロダクティブ・ライツ」の定義

 19世紀の終わり頃から、世界各地の女性たちは合法的な避妊と中絶を求める運動を展開してきたが、その集大成となったのは、1994年にエジプトのカイロで開かれた国際人口開発会議で、国際文書として初めて「リプロダクティブ・ライツ」が書き込まれたことだった。

 世界的な人口問題への関心の高まりにより、地球規模での人口問題が話し合われるようになったのは、1974年にルーマニアのブカレストで開かれた第3回世界人口会議が最初であり、この時は国連の主催で世界中から137か国もの政府代表団が集まった。ブカレスト会議は、当時の女性運動の高まりを背景に、人口問題を解決するためには人権を尊重し、男女平等と女性の地位向上が重要であるとの認識が共有された。採択された「世界人口行動計画(WPPA)」の「原則と応用」のパラグラフには、「カップルと個人が子どもの数と間隔を自分たちで決定する権利と、その決定を実現するための手段を得る権利」も理念も盛り込まれた。しかし、ブカレスト会議の時点では中絶どころか避妊さえ認めていない国が大半で、この理念を実現するには程遠い状態だったのである。

 翌1975年は国際婦人年で、国連はその後1985年までを国連婦人の十年と定め、各国政府は女性の地位向上のために様々な取組を展開するようになった。1979年には女性差別撤廃条約が採択され、その第12条には、「締約国は、男女の平等を基礎として保健サービス(家族計画に関連するものを含む)を享受する機会を確保することを目的として、保健分野における女性に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとる」ことも定められた。

 1984年、メキシコで開かれた第4回国際人口会議の時点では、参加した147か国のうち123国が避妊を推奨するようになっていた。これは明らかに各国政府の女性の地位向上をめざした取組の成果だった。メキシコ会議でも、産む子どもの数と間隔は当事者であるカップルと個人に任せるべきであることや、人口問題解決において女性の地位向上が重要なカギを握っていることが再確認された。

 その裏には、世界各国の女性運動が国際的なネットワークを組むようになっていたことが大きく影響している。1984年にオランダのアムステルダムで開かれた国際女性と健康会議には、世界中の女性運動家たちが結集し、南北の女性たちの経験の違いを巡って激論した末に、女性に共通する問題について考えを深めていった。彼女たちは国際NGOを形成し、女性の性と生殖の領域に関する広範な事項にまたがる権利を表現するために「リプロダクティブ・ライツ」という言葉を用いることで合意し、カイロ会議の準備会議にも多数参加して、影響力を広げていったのである。

 1994年のカイロ会議は、「リプロダクティブ・ライツ」と女性の「中絶の権利」を巡って紛糾した。バチカンやイスラムが猛反対する中で、様々な妥協も必要になったが最終的に「リプロダクティブ・ライツ」という文言は残り、様々な留保付きではありながらも、世界179か国の政府がカイロ宣言とカイロ行動計画に合意することになった。

 カイロ会議が画期的だったのは、従来の「マクロ」の視点に立っていた人口問題を「ミクロ」の視点に転換したことである。カイロ会議では人口と開発の問題を個人の人権ベースで見直し、「すべての人(エブリワン)が大切である」、「開発政策の真の焦点は個人の生活の向上に当てられるべきだ」、「不平等にどれだけ対処できたかが進歩の尺度になる」などの主張が盛り込まれた。この会議において、「リプロダクティブ・ライツ」はすべての国が対処すべきすべての人々の権利――すなわち「人権」の問題として位置付けられたのである。


 カイロ行動計画におけるリプロダクティブ・ライツの定義は次のような説明で始まる。


リプロダクティブ・ライツは、自由にかつ責任をもって自らの子どもの数と間隔とタイミングを決めることと、それができるための情報と手段を有すること、ならびに最高水準のセクシュアル&リプロダクティブ・ヘルスに到達するためのすべてのカップルおよび個人がもつ基本的な権利を認めることにかかっている。


 ここには具体的に3つの権利が示されている。第一に、生殖に関する自己決定権である。「子どもを産むか、産まないか、産むとしたらいつ、どのような間隔で産むかを自分で決定する権利」であり、国家からの介入を阻む権利で、人権規約でいえば自由権的な権利である。第二は、性と生殖に関連する情報とサービスにアクセスできる権利である。すなわち、自己決定した内容を実行するために必要な情報と手段を得られる権利であり、ここに安全で確実な避妊や中絶、安全な出産を保障される権利も含まれる。これは社会権規約的な権利であり、国はこれを保障する義務を負う。第三は、性と生殖に関する最高水準の健康を最大限享受する権利である。ここで言う「健康」とはWHOの定義に従い、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態(ウェルビーイング)をリプロダクションに関して得られることである。

 このように、リプロダクションにまつわる自由権と社会権の両側面を保障されて初めて、人は身体的、精神的、社会的な最高水準の「リプロダクティブ・ヘルス」を享受できるようになる。リプロダクティブ・ライツはリプロダクティブ・ヘルスの前提条件であり、リプロダクティブ・ヘルスはリプロダクティブ・ライツの目標でもある。この二つは相補的で不可分であるため、「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」と書くことが望ましい(日本語で使われる「/」は「又は」という意味であり、一方が充足されれば足りることになってしまう)。

 ところが、カイロ会議の議論では(特にリプロダクティブ・ライツに反対する勢力によって)「リプロダクティブ・ライツ」は「中絶の権利」に矮小化されてしまいがちだった。そのためか、残念ながら日本政府は「人口の過剰な国が個人に認める権利」と誤って解釈したようである。


リプロは外交手段?


 日本の代表団は、ブカレスト会議では厚生大臣、メキシコ会議では厚生政務次官が主席代表を務めていたが、カイロ会議では河野洋平副総理兼外務大臣が代表を務めていた。実は、この時、日本政府は「人口問題」を外交戦略の中で取り扱う方向に舵を切ったのである。以降、日本では人口開発会議案件は、すべてODAの文脈で処理されている。

 実際、河野副総理は演説の中で、日本を「人口問題」をすでに解決した「先進国」として位置付けたうえで、人口とエイズの分野における途上国援助として総額30億ドルのODAを供出することを約している。また、日本は母子保健を中心とした「リプロダクティブ・ヘルス」に対応済みであると述べながら、この会議で最大の争点であった「リプロダクティブ・ライツ」については一言も触れていない。そこには日本政府の一貫とした態度が示されている。日本政府は中絶の権利は認めないし、産児調節に関連するリプロダクティブ・ヘルスケアを普及させるつもりもないのである。

 なお、もしこの時点で日本政府も「ミクロ」の視点に注目し、自国内の国民一人ひとりがどのような問題を抱えているかに目を向けていたら、その後の少子化対策も全く違ったものになっていたに違いない。実際、当時の日本では生産人口が減りつつある一方で、希望するだけの子どもを持てない人々も増えつつあった。産みたい人を支援する必要があるとの声には日本政府は一切耳を傾けず、「リプロダクティブ・ライツ」はもっぱら途上国のものとみなして、外交政策の対象と決め込んだ。結果的に、日本女性のリプロダクティブ・ヘルスもリプロダクティブ・ライツも置き去りにされたのである。


カイロ会議以降の日本の動向

 日本国内では、カイロ会議の数か月後の1994年12月に、文部、厚生、労働、建設(当時)の四大臣合意によって策定された「エンゼルプラン」が発表された。日本政府もいよいよ少子化に本腰を入れはじめたのだ。エンゼルプランは子育て支援社会を構築するという問題意識に基づいて、「緊急保育対策等五か年計画」という保育整備を中心的施策に据えた日本初の本格的な少子化対策だった。だが、この時の政府は、戦前の「産めよ殖やせよ」への強い批判があったことを意識してか、「結婚するかしないか、子どもを産むか産まないかはあくまでも個人の選択であり、政策的に関与すべきではない」として、さほど積極的な姿勢ではなかった。それは政府がリプロダクティブ・ライツを自由権の文脈でのみ捉えていた証拠でもあろう。社会的に「産む選択」を保障していくことは考えていなかったのである。

 政府のおもわくはともかく、翌1995年に北京で開かれた第四回世界女性会議(北京会議)の成果文書である北京宣言と北京行動綱領は、カイロ会議のリプロダクティブ・ヘルス&ライツを踏襲し、女性の権利として位置付け直した。「ジェンダー」が重要な概念として採用され、「女性の権利は人権」であることも再確認されたこの会議に、日本から参加した5000人もの女性たちは希望を抱いた。

 実際、確かに日本もようやくジェンダー平等に向けて動き出したかのように見えた。カイロ会議と北京会議を経て1999年に男女共同参画社会基本法が施行され、2000年には初の男女共同参画基本計画が発表され、2001年には内閣府内に男女共同参画局が設置され、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(いわゆる「DV防止法」)も施行された。

 だが膨らむ期待に冷や水を浴びせるかのように、2003年に東京都議が七尾養護学校の性教育を全面的に批判するバッシングを開始したのを皮切りに、国政でも保守派議員による性教育やジェンダーフリー教育への批判がにわかに強まっていった。第二次男女共同参画基本計画の策定が進められていた2005年には、自民党安倍晋三幹事長代理(当時)を代表に、山谷えり子を事務局長に据えた「過激な性教育・ジェンダーフリー実態調査プロジェクトチーム」が作られ、第2次男女共同参画基本計画の全面的書き換えを要求しだした。ある対談集で安倍氏は「170カ所修正させた」と豪語しているが、実際この年の基本計画は、あちこちがまだらに白紙になったぶざまな体裁のPDFがオンラインに残されている。

 結果的に、2000年の第1次計画でちりばめられていた「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」の文言や理念はほぼ全面的に削除され、第2次計画の各所で新たに付け加えられていた「ジェンダー」の概念も徹底的に刈り込まれたばかりか、かろうじて残された「リプロダクティブ・ライツ」の説明部分には、日本では刑法堕胎罪と母体保護法で中絶が規制されているとして「(法に反してまで)中絶の自由を認めるわけではない」という文言まで書き加えられたのである。

 現時点から振り返ると、政府が「リプロダクティブ・ライツ」を外交政策に押し込み、リプロダクティブ・ヘルスケアを日本女性の権利とはみなさなかったことは明らかである。北京文書は男女共同参画局のホームページの「国際協調」のページに置かれ、国内の政策策定時に引用されることもない。結果的に、日本の経口避妊薬の承認は1999年と世界より40年も遅れた(しかも、男性の勃起治療薬バイアグラがスピード認証されたことを女性たちから批判されて慌てて認可したのである)。現在治験が進められている中絶薬も、仮にすぐに承認されたとしてもすでに世界より40年以上も遅れており、新聞報道によると従来の中絶手術と同程度(妊娠初期で10万円以上)の料金設定にされる恐れもある。性交後できるだけ早く飲んだ方が効果が高まる(ゆえに海外では店頭販売されている)緊急避妊薬でさえも、性教育の遅れ等を理由に「指定医師」たちはなかなか認めようとしない。しかも、日本では避妊も中絶もすべて健康保険がきかない自費診療で、世界一料金が高く、アクセスがひどく悪い状態が続いている。


カイロ会議以降の海外の動向

 一方、海外ではカイロ会議と北京会議のフォローアップ会議や人権規約の一般勧告等、SDGsなど機会があるたびに、「リプロダクティブ・ライツ」の具体的な内容がさらに広く深く論じられきた。とりわけここ数年は、非常に革新的な定義が付け加えられている。

 たとえば、2016年の社会権規約の第12条の「健康権」に関する一般勧告22では、性教育や避妊の権利と共に、中絶を制限する法律を緩和し、女性と女子に安全な中絶サービスのアクセスを保障し、性と生殖に関する健康について女性が自己決定する権利を尊重する法的・政策的措置を講じることを勧告している。さらに2019年の自由権規約の第6条「生命権」に関する一般勧告36では、すべての女性と少女のために安全で合法的な中絶への障壁を撤廃し、性と生殖の健康に関するエビデンスに基づく情報と教育および手頃な価格の幅広い避妊方法を確保すべきだとも明記された。世界では、「リプロダクティブ・ライツ」はどんどん進化しているのである。


おわりに

 日本では、今も性教育の自粛が続き、ジェンダー平等の動きもほとんど停滞してきた。ただしここ数年、若いフェミニストたちが緊急避妊薬の店頭販売を求めてSNSを中心とした運動をくり広げたり、医学部入試における女性差別や女性の性被害に対する理不尽な判決などに怒りをあらわにした人々が#MeToo運動やフラワーデモを展開したりと、新たな動きも始まっている。まだ法や制度を変革するには至っていない状況ではあるが、今後もあきらめずに「リプロダクティブ・ライツ」に関する問題を提起し、議論を深めていきたい。


(『人権と部落差別』2021年10月号投稿原稿~最終版は掲載誌でご確認ください。)





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